--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012/12/02

水4概論

こんにちは、2回生の344です。更新が遅れて申し訳ありません……。
12月に入り本格的に寒くなってきましたが皆様どうぞご自愛下さい。

今回の私の概論テーマは「秦代の文字の統一について」です。

前221年に秦が中国を統一し、度量衡や車軌とともに文字の統一を行ったということは世界史の教科書や概説書に必ずと言ってよいほど表記されている事項です。その実情はどのようなものであったのか、出土資料も参考にしつつ考察を試みました。

 秦による統一以前、各国の文字にはバリエーションが存在しました。とはいえ、漢字そのものの体系は不変ですので、ここでの差異は基本的に書体の違いということになります。具体的には後漢の許慎『説文解字』などに述べられています。そもそもなぜこうした書体の統一が必要であったのかと言えば、秦では「伝達事項を口頭や言伝ではなく文書で報告することが定められていた」(睡虎地秦律 内史雑律)ためで、文書行政で全国を統治するためには不可欠な事項でした。

 従来は、宰相である李斯が、秦を中心に用いられていた大篆(籀文)を簡略化した小篆を作り、これに書体を統一したということが言われていました。書家ではない(少なくとも史書にそうした記述のない)李斯が新たな書体を一人で創作したとは考え辛いですので、これについては統一事業を中心となって推し進めた人物として、後代名前が挙げられ、定着したものと思われます。

 こうした説を覆したのが簡牘資料の発見です。1975年に発見されたいわゆる睡虎地秦簡、それに続いて1989年に出土した龍崗秦簡は、筆写時期はそれぞれ統一の前と後、ともに隷書体で筆記されていました。ここで、本来篆書より後に生まれたはずの隷書が統一の前後期に渡って既に普及しているにも関わらず、複雑な篆書体に統一しようとしたことについての疑問が生まれます。秦の制度を踏襲した漢の制度(胡広『漢制度』・蔡邕『独断』)を参考にしてみますと、竹簡の長さによって権威付けをしていたように、文書の格によって書体の使い分けが為されていた可能性が考えられます。また、当時は篆書や隷書の他にもごく限られた用途で使用される書体が存在しました。これがいわゆる「秦書八体」と呼ばれるもので、先に挙げた許慎の『説文解字』に挙げられています。

 まとめると、秦の文字の統一は主として文書行政の効率化を図ったものであり、範囲はあくまでそれに関わるもの、即ち公文書における統一を想定していたことが考えられます。また、全国の文字を小篆ひとつに統一したわけではではなく、用途によって様々の書体が定められていました。


 発表の内容は概ね以上の通りでしたが、本題に入る前に時代背景等の説明を欠いたため些か不親切なものとなってしまいました。今後は書体そのもの(特に旧六国の書体)への理解も深めつつ考察が出来たらと思います。拙い文章でしたが、ここまで読んで頂き有難うございました。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

この史学研のブログ。みんなで、どんどん投稿されていて、すごいことだと思います。
楽しみにしていますので、がんばてください!

>どこかの県さん

コメントありがとうございます。
部員一同これからも精進していきますので、応援よろしくお願いします。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。