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2015/12/22

月曜3限概論発表

2回生のしらせです。今回は「軍事からみる都市 ―広島市と呉市―」というテーマで発表しました。

軍事からみる都市 ―広島市と呉市―

1. はじめに
 私の出身地である広島県の明治以降の都市の発展に興味を持ち、その中で広島市と呉市の発展への軍事の関係を調べることにした。両都市への軍の進出から都市への影響をみていきたい。


2. 広島市
2.1 広島市とは
・1889年の市制町村制の施行に伴って、全国で初の市制施行をした市の一つ
・1889年の人口8万3387人 2015年の人口118万5408人
・国の出先機関が多く置かれ、中国地方の中心都市
・政令指定都市の一つ

2.2 明治から
○陸軍の設置
・1871年に広島城本丸に鎮西探題第一分営が設置される
        ↓
1873年に第五軍管広島鎮台と改称
        ↓
1886年に第五師団と改称

・歩兵第十一連隊の設置

○軍都広島
・日清戦争の勃発に伴う広島の臨時首都化
→大本営の進出、帝国議会の開催
明治天皇、貴族院・衆議院議員の広島入り
・日清戦争の影響で宇品線の建設
 →宇品港から船舶で戦地に物資や兵員を輸送
 =鉄道による迅速かつ大量の輸送が必要なため
・軍用水道の設置
 →用水と船の洗浄で使用するため
・日露戦争といった大規模な戦争時に再び拠点として利用
 →陸軍糧秣支廠宇品支廠(後の宇品陸軍糧秣支廠)、大阪砲兵工廠広島出張所(後の広島陸軍兵器補給廠)、陸軍被服廠広島出張所(後の広島陸軍被服支廠)、似島陸軍検疫所、台湾陸軍補給廠運輸部宇品支部(後の陸軍運輸部)などの戦争を遂行するために必要な機関などが設立される
 =軍都としての役割を強化
・満州事変や日中戦争などの戦時体制への移行
 →第二総軍司令部や中国地方統監府の設置


3. 呉市
3.1 呉市とは
・広島県南西部に位置
・主要産業は造船や鉄鋼
・海上自衛隊の基地や海上保安大学校の所在地
・県内の人口第三位の都市で2015年23万3439人
・音戸の瀬戸など平清盛にゆかりがある

3.2 海軍との関係
○呉鎮守府の設立
・欧米との不平等条約の改正を目指すためには、近代的な軍隊の整備が必要
 →海軍では鎮守府を設置することに
・西海鎮守府設立が計画され、第二海軍区鎮守府の設立に呉が選定される
 →防御面、港湾の広さ、深さなどの要素から優れていると判断

○鎮守府の役割
・鎮守府条例(明治26年)の一部を抜粋
一、鎮守府は出師の準備、兵備品の供給、軍港要港の防御、海軍区の警備、軍港の製造修理、兵員の徴募訓練を掌る所とす
一、鎮守府に司令長官一人置き、海軍将官を以て之に補し、天皇に直隷し、所属団体を統率し、軍事を統理し、又海軍大臣の命を受け所管の軍政を総理す
一、司令長官は麾下の艦船を所管海軍区及隣区内に派遣することを得
一、司令長官の幕僚として左の職員を置く
  参謀長 参謀 秘書 機関長 軍医長 主理
一、鎮守府に予備艦部、造船部、測器庫、武庫、水雷庫、兵器工場、病院及監獄を置く

○呉海軍工廠
・鎮守府条例で規定された呉鎮守府造船部や兵器工場は後に呉海軍造船廠、呉海軍造兵廠となった後に統一され、呉海軍工廠の造船部、造兵部となった
・呉海軍工廠設立による職工の増加
 →1899年には1万1979人だったが、発展に伴い1936年には3万1683人まで増加
 ※戦時中である1943年には呉市の人口は40万4257人となり、現在の人口よりも多い
・戦艦や航空母艦、駆逐艦、潜水艦といった艦艇を建造
→戦艦大和の建造も行われる

○鉄道
・呉線の建設
 →軍港という土地としての重要性
・市内電車の開業

3.3 戦後の呉市
○旧軍港市転換法
・終戦に伴う海軍の解体による呉鎮守府、呉海軍工廠で勤務していた軍人、職工の失業
 →旧軍港市転換法による旧海軍施設への企業誘致でそうした事態の打破へ
                ⇓
 旧呉海軍工廠には日亜製鋼、淀川製鋼所、NBC呉造船部、呉造船所、旧第11空廠には東洋パルプ、中国工業といった企業の進出
                ⇓
 職工たちの就業先が見つかり、呉海軍工廠で培われた技術もそこで生かされていくことに

○海上自衛隊
・呉航路啓開隊による機雷除去作業
 →太平洋戦争中に多く敷設されたため

・呉地方隊と呉地方総監部の発足
 →戦前の呉鎮守府にあたるもので、施設も海軍のものを引き継いでいる


4. まとめ
 広島市と呉市という両都市をそれぞれ陸軍と海軍という関係からみてきたが、近代都市の発展には軍との関係が非常に大きいと感じられた。広島市の場合は、第五師団が存在に加えて、対外戦争を遂行していく上での出撃拠点またはその支援を行う拠点の役割を有する都市として、多くの陸軍関係施設が建設され、軍都としての発展をしてきたといえる。また、呉市は呉鎮守府や呉海軍工廠といった機関や施設を有し、東洋一の軍港と称されるほどの規模であった。それらの拡大に比例して呉市も発展していったが、終戦で廃止されてしまうと活気を失ってしまった。しかし、両都市は陸海軍が解体されるまでに蓄積された技術を生かして戦後の復興や経済成長を支えたということができる。


5. おわりに
 今回は広島市と呉市についての軍との関連性をみていったために、似たような条件を持つ他の都市はどんな様子であったかを比較したり出来なかったのが反省点である。また、各都市の戦後について踏み込んだ内容にしたかったというのもあるので、次回概論を行う際には頭に入れておきたい。

6. 参考文献
・広島市『図説広島市史』(広島市、平成元年)
・呉市史編纂室『呉市史 第三巻』(呉市、昭和39年)
・呉市史編纂委員会『呉市制一〇〇周年記念版 呉の歴史』(呉市、平成14年)
・呉市の統計http://www.city.kure.lg.jp/~statics/ (2015.11.30閲覧)
・富国強兵とひろしま ~軍港呉~
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/129735.pdf
(2015.11.30閲覧)

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