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2015/12/20

木曜5限概論発表

2回生のフリスビーです。今回は「宇宙開発の歴史 黎明期からアポロまで」について発表しました。

1. はじめに
 世界初の人工衛星が打ち上げられて今年で58年になる。かつて、宇宙は人類にとって夢の世界でしかなかったが、人類による宇宙利用はこの半世紀で急速に進み、現在国家だけでなく民間の利用も増え、我々にとって遠い世界の話ではなくなりつつある。この概論では、宇宙開発がどのようにして始まったのか、冷戦期におけるアメリカとソ連の宇宙開発競争がどのように進められたのかを見ていきたいと思う。

2. 背景
 第二次世界大戦後、アメリカとソ連が対立する「冷戦」の構図が固まった。2国は核爆弾の開発に成功し、それを互いの威嚇、あるいは実戦で用いるための有効な手段が必要であった。アメリカは核爆弾の運搬手段としてB—29をはじめとする戦略爆撃機を開発したが、非効率であり危険も伴う。自身を危険にさらすことなく相手を攻撃できる武器、そして空より更に上の宇宙から相手を狙うことのできる武器として両国はミサイルに目をつけ、やがて宇宙開発へとつながっていく。

3. 黎明期
 世界初のミサイルは、二次大戦中ナチスドイツによって開発されたV2ロケットで、1944年9月から3000発以上がロンドンなどの連合国側に発射された。ドイツ敗戦後、ドイツのロケット技術はV2と共にソ連とアメリカに移植される。V2開発のリーダーであったフォン・ブラウンはアメリカに投降した。ソ連にも連行された技術者がV2の技術を伝え、セルゲイ・コロリョフの指揮下で大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発が進められた。そして1957年に世界初のICBMであるR7の発射実験に成功した。

4. 宇宙開発競争のスタート
 1961年4月12日、ソ連空軍のユーリ・ガガーリン中尉(飛行中に少佐に特進)を乗せたボストーク1号が打ち上げられた。ボストーク1号は地球を1週し、約1時間50分かけて地上に帰還した。帰還方法は、高度7000mで飛行士を座席ごと帰還カプセルから射出して一人パラシュートで降下させるという大きな危険を伴うものだったが、無事成功した。ソ連はガガーリンの帰還後にこの事実を公表し、再び世界を驚嘆させた。加えて、ガガーリンが貧しい農村出身であったことが、社会主義の優越性を訴える大きな宣伝材料となった。スプートニクショックに続いてガガーリンショックという言葉も生まれた。
アメリカも1958年から有人宇宙飛行を目指すマーキュリー計画をスタートさせていたが、またしてもソ連に先を越されてしまった。ボストーク1号から23日後の5月5日、アメリカはフリーダム7で初の有人宇宙飛行を成功させたが、これは10数分の弾道飛行に過ぎなかった。この直後、当時のアメリカ大統領ケネディは、「アメリカは1960年代の終わりまでに、月面に人を着陸させ、無事に帰還させることを国家的目標として宇宙開発を進める」と宣言し、これが後のアポロ計画につながっていくことになる。アメリカは、62年2月20日に打ち上げられたフレンドシップ7で初めて地球周回飛行に成功し、この時地球を3週した。

 しかし、その後もソ連の優位が続いた。61年8月に打ち上げられたボストーク2号で25時間超の宇宙飛行を成功させ、62年12月の3,4号では史上初のランデブー飛行を成功させた。63年6月の5号では119時間6分の長期宇宙滞在記録を樹立し、同時期の6号で人類初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワが70時間超の飛行を達成した。そして、64年10月、世界初の複数人が搭乗できる宇宙船である3人乗りのボスホート1号が打ち上げられた。医師が同乗して医学的な実験を行いながら約24時間飛行し、帰還した。この直後、ソ連ではフルシチョフが失脚し、かわってブレジネフが権力の座についたが、宇宙開発への姿勢は変わらなかった。宇宙開発でアメリカをリードすることは、ソ連の優越性をアピールする重要な機会であった。65年3月には2人乗りのボスホート2号が打ち上げられ、アクセレイ・レオーノフが史上初の約10分にわたる船外活動(宇宙遊泳)に成功した。ボスホート計画は2回で終了し、有人月面着陸を目指すソユーズ計画へと移ることになる。

 一方後を追うアメリカは、63年5月のフェイス7でマーキュリー計画を終了し、ジェミニ計画へと移り本格的な追撃を開始する。63年11月22日にケネディ大統領が暗殺されるという悲劇が起こったが、宇宙開発計画に変更はなかった。ジェミニ計画は2人乗りのジェミニ宇宙船が使われ、月面着陸を目指すアポロ計画の前段階として、地球周回軌道上でのランデブー、ドッキング、船外活動を目指した。64年4月と65年1月に打ち上げられたジェミニ1,2号は無人で、初の有人飛行は65年3月の3号で行われ、次の6月の4号でアメリカ初の船外活動に成功した。66年3月の8号ではアメリカ宇宙開発史上初の緊急着陸が行われた。月へ行くための技術とデータを蓄え、ジェミニ計画は66年11月の12号で終了した。そしていよいよ有人月面着陸を本格的に目指すアポロ計画がスタートすることになる。

5. アポロ計画とアメリカの勝利
1966年11月、いよいよアポロ計画がスタートし、60年代中の月着陸が見えたかに思われた。しかしその矢先の67年1月、実際の司令船を使った模擬訓練中に司令船が爆発を起こし、3人の宇宙飛行士が亡くなるという事故が起こる。NASAはこの司令船を正式にアポロ1号と呼ぶことに決め、2,3号を欠番とした。様々な対策が施され、67年11月、新型ロケットのサターンVを用いたアポロ4号が無人で打ち上げられた。5,6号で無人でのテストを終え、7号で有人でのミッションを再開、68年12月の8号で初めてソ連に先駆けて月周回軌道での有人飛行に成功した。69年3月の9号で初めて月着陸船を使用し、月周回軌道上で司令船と着陸船のドッキングなどのテストが行われた。続く10号で最終リハーサルが行われ、月着陸予定地「静かの海」上空1万5000mまで接近した。
そして69年7月16日、人類史上初の有人月面着陸をミッションとしたアポロ11号が、フロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。11号は順調に飛行し、69年7月20日午後4時17分、着陸船イーグルが月に着陸した。そして午後10時56分(日本時間7月21日午前11時56分)、船長のニール・アームストロングが人類で初めて月に降り立った。最初に発した言葉が、”That's one small step for a man, one giant step for mankind “(1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ)だった。アメリカは、ついにソ連に勝利したのである。

一方ソ連は、アポロ11号が月面着陸に成功した直後、有人月探査の無意味さ、無謀さを強調する声明を出し、ソ連の有人月探査計画の存在を否定した。しかし、ソ連崩壊後、ソ連も有人月探査を目指していたことが明らかになった。先述したように、ボスホート計画後有人月着陸を目指すソユーズ計画へと移るが、この計画が本格始動する直前の66年1月14日、これまでソ連の宇宙開発を強力なリーダーシップと指導力で推進してきたセルゲイ・コロリョフが、腸の腫瘍摘出手術中に様態が急変し死亡した。後任にはワシリー・ミーシンが就いたが、コロリョフほどの指導力を発揮できなかった。67年4月、ソユーズ1号が打ち上げられた。翌日に打ち上げられる2号とのドッキングを予定しており、月着陸に向けた訓練だった。ところが、1号にトラブルが発生し、飛行を中止し帰還することになった。しかし、地上付近でパラシュートが開かず、搭乗していた宇宙飛行士は死亡した。有人宇宙飛行史上初めての死亡事故だった。翌68年10月のソユーズ2,3号のミッションも失敗に終わった。有人月面着陸に向けて大型のN-1ロケットも開発されていたが、打ち上げ失敗が続いた。アポロ11号が月面着陸に成功した後も、無人機を月に送り周回させた後(69年8月)帰還させるなど、75年の月面着陸を目標に開発が続けられ、最終的に有人月宇宙船と月着陸船は完成させたものの、N-1ロケットがついに完成せず、結局74年6月に政府命令により計画中止となった。

宇宙開発競争は、アメリカの勝利、ひいては資本主義社会の勝利として、幕を閉じたのである。

6. まとめ
スプートニクからアポロに至るまでの宇宙開発競争は、「戦争」であった。ソ連がスプートニク、ボストークを成功させたことは、ソ連がアメリカの更に上方に位置したことを意味した。ソ連に先手を取られ続けた状況を一気にひっくり返すには、さらにその上、月を目指すしかなかったのである。月を目指すために必要とされた予算は値切られることなく議会を通過し、必要と判断された技術はいかなる犠牲を払ってでも、時には人命の犠牲もやむを得ないこととして開発された。この頃の宇宙飛行士が軍人から選ばれたことにもそれは表れている。50-60年代の宇宙開発が今日では考えられないほど急速に進んだのは、それが冷戦期における戦争の1つであったからである。勝利のために全ての資源を注ぎ、無駄なことをしない。それ故、アポロは成功したのである。
「戦争」がアメリカの勝利に終わり、人々は熱狂から覚め、それ以上の投資は無意味とされた。当初20号まで予定されていたアポロも17号で打ち切られ、それ以降、月に降り立った人間はいない。有人宇宙開発は、アポロほどの成長を感じることができない停滞期に入っていくのである。

7. おわりに
初期の宇宙開発の経過とその背景を見てきた。この頃の国際事情、政治事情や、アポロ以降の宇宙開発も紹介したかったのだが、時間と紙幅の関係で実現できなかった。続きは次回の概論で発表したいと思う。

★ 参考文献、サイト
『徹底図解・宇宙のしくみ』 新星出版 2009年
『ロケットと宇宙開発』学研 2009年
『完全図解・宇宙手帳』渡辺勝己 講談社 2012年
JAXA宇宙情報センター

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