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2015/12/12

木曜5限概論発表 

3回生のけんけんです。
今回は、「トランスジェンダーな日本人の歴史」というテーマで発表しました。要するにホモとゲイとオネエの話です。同期のシャチ系女子が「ホモが嫌いな女子はいないよ!」って言ってました。
時代を追ってホモエピソードを紹介していくひどい内容になっております、お付き合いください。

はじめに
 トランスジェンダーとは、ラテン語で「乗り越える」や「逆側に行く」を意味する「トランス」と、英語で「性」を意味する「ジェンダー」の合成語である。 生まれたときからもっているとされる、社会で認識されている役割と同様の規範的な性に収まらない傾向を含む、あらゆる個人および行動、グループに当てられる言葉である。
大内義隆(1507-1551)という戦国大名を調べていく中で、義隆が衆道(男色)を好んでいたという史料を見かけた。男色について調べると、義隆にだけではなく、戦国時代、中世のみならず幅広い時代において日本の歴史の中に「トランスジェンダー」が存在したことがわかり、この分野について調べることとした。本概論では、日本史における、主として男性のトランスジェンダーおよび女装について、古代から近現代まで順にエピソードを紹介する。日本史においてトランスジェンダーとは何なのか考えるきっかけとしたい。

古代編
① 女装の建国の英雄・ヤマトタケルノミコト
和銅五年(712年)『古事記』、養老四年(720年)『日本書紀』より

父の景行天皇より西方の「クマソ」討伐を命じられた十代半ばの少年、ヤマトタケル。クマソの家についてみると、屋敷の新築の最中。新築の宴があるということであるが、警備が厳しい。ヤマトタケルは、女装して屋敷に潜入。童女のように髪をたらし、美しい姿のヤマトタケルの姿にクマソ兄弟は魅せられ、身近に呼び寄せる。
「その童女の容姿(かおよき)に感(め)でて、則ち手を携へて席を同にして、坏を挙げて飲ましめつつ戯れ弄る」(『日本書紀』)
「其の酣(たけなわ)なると時に臨(な)りて、懐より剣を出し、熊曾の衣の衿(くび)を取りて、剣以ちて其の胸より刺し通したまひし時、其の弟(おと)健(たける)、見畏みて逃げ出でき。乃ち追ひて…剣を尻より刺し通したまひき。」(『古事記』)
女装することによって敵を油断させ、宿敵クマソを討伐したのである。

・敵を油断させるための女装、ハニートラップ→クマソの行動はセクハラではなく、新築祝いにハレの日に尊貴者に女性を捧げるという神事。ヤマトタケルはこれを利用した可能性
・「弄る」いじる、もてあそぶ→クマソは「童女」が男だと気づいていた?→前近代においては、少女と女装少年は互換可能な存在、クマソはどちらでもよかった?
・日本神話における建国の英雄の女装→古代より日本人に女装に対する抵抗感なし
⇔西洋・キリスト教においては禁忌
「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。
あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである。(申命記 / 22章 5節)」
② 平安貴族・最古の男性同士の恋
昌泰三年(900年)頃か、『伊勢物語』より

むかし、男、いとうるはしき友ありけり。かた時さらずあひ思ひけるを、人の国へいきけるを、いとあはれと思ひて、別れにけり。月日経ておこせたる文に、
「あさましく、対面せで、月日の経にけること。忘れやしぬまひにけむと、いたく思ひわびてなむはべる。世の中の人の心は、目離(めか)るれば忘れぬべきものにこそあめれ」といへりければ、よみてやる。
目離るとも思ほえなくに忘らるる時しなければおもかげに立つ

訳「昔、男がいて、たいそう仲のいい友人があった。片時も離れずに思いあっていたのに、その友人が地方へ赴任したので、男はとても悲しく寂しく別れた。年月経ってから友人からよこしてきた手紙に、「あきれるほど長い間、会うことがなかったね。私のことなど忘れてしまったんじゃないかと、たいそう悲しく思っていたよ。世間の人の心は離れていると忘れてしまうもののようだからね」と手紙にあったので、歌を書き送った。
君に逢っていないなんて思えないんだよ 君を忘れるときもなくいつも思い出すから 君の面影といつも逢っているんだよ」

・文献上最も古い男同士の恋愛表現
・いとうるわしき友(在原業平)は女性もOK→古代、女色と男色は対立せず共存可能

③古代に描かれる性同一性障害
平安末期か、『とりかへばや物語』

平安末期に成立したとされるが、作者は未詳。男装の姫君と女装の若君の波瀾万丈な宮廷生活を描く。
権大納言に瓜二つの異母兄妹がいたが、兄は内気で人見知り。妹は外向的で活発。そんな二人を見て、父の権大納言は「とりかへばや」(二人を取り替えたいなあ)と思い、若君を娘、姫君を息子として育ててしまう――。性別が入れ替わった異母兄妹の数奇な運命を描いた物語。同性愛、ジェンダーの違和感など、今日的なテーマも描かれる。

・古代において性同一性障害が描かれる→実在の有無はともかく、発想は存在

中世編
④持者(ぢしゃ)
・鎌倉時代から室町時代にかけて行われていた「職人歌合」…手工業者、宗教者、遊女など様々な身分のものが出席。弘長元年(1261年)成立の『鶴岡放生会職人歌合』などに描かれる「持者(ぢしゃ)」。華麗な小袖風の衣装、白い布で頭を包んでいる(女性風の格好)が、髭が生えており肩幅が広い
→女装の男性、占いや呪術などの宗教者、呪文によって悪霊を払う巫女⇒「越境者」となる効果
「なべてには 恋の心もかわるらん まことはうなひ かりはおとめご」
訳「普通とは 恋の心も違うのよ  ほんとは男   仮に女の子」

⑤稚児
稚児…
「祭りなどの折に、神霊のよりつく者として選ばれて参加する童児…のちには単に神に奉仕する者と意識されることにより、その扱いは変わった。なお、公家や武家、寺院などに召し使われた少年を稚児と称したのも奉仕する者としての性格によるものである。また、中世、寺院・武家社会などにおいて男色の相手をする少年を稚児と称したのも同様である。」《国史大辞典より》

・『春日権現験記絵』、白河法皇の春日大社行幸の様子とされているが、描かれたのが鎌倉時代後期のため、その時代の風俗が描かれていると考えられる。
・僧侶の集団に女性が描かれているが、本来女性が混ざることはありえない、つまり女装の稚児
→女性との接触がタブーな僧侶にとって稚児は女の互換者?
『稚児草子』…秘本。醍醐寺三宝院蔵。僧と稚児の親密な関係が赤裸々に描かれる。女装の稚児はもはや女?ヘテロセクシャル的な存在とも⇛男であれば女装していようとも男、という考え方は現代のもの。

ex)鞍馬寺で稚児として育てられた源義経が、京の五条大橋で弁慶に女性と見間違えられるというエピソードは、女の互換者として育てられたとすると理解できる

⑥戦国大名の男色・大内義隆の事例
フロイス『日本史』、天文一九年(1550年)の記録

1549年鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、人口が極めて多く、富貴な町、山口に到着した。日本屈指の大大名、大内義隆に会って布教許可を得ようとした。両者の面会の様子は、ザビエルに従ったフェルナンデスが紹介している。
「インドやヨーロッパについて尋ねたあと候(義隆)は、汝らが新たに広めようとしている宗教について聞きたいと言った。そこでザビエルはかねてローマ字に訳させていた説教用の帳面をフェルナンデスに読ませた。その内容は、日本人の陥っている偶像崇拝の罪、日本人の悪習から男色の罪に及び、このような行為は豚より汚らわしく、犬畜生にも劣る、と述べた。この点はいたく候の機嫌を損じ、その顔は明らかに激昂の色を表し、朗読が終わるや、立ち去るように合図し、一行は辞去した。この間候は、一言も発しなかった。」

・キリスト教における男色は「ソドマの罪」に当たる。
ソドマとは…『旧約聖書』に登場する堕落した町の名前。ソドミーとは「異常な性行動」のこと。

天文二十年(1552年)頃『大内義隆記』

家臣の陶隆房(後の陶晴賢)が五郎と呼ばれていた幼いころ、義隆は五郎を寵愛し、陶氏の領地である富田(山口から約40キロ)まで通って行っていた。ある夏の日に、松ヶ崎の寺で会ったが、五郎が暇乞いもせずに帰ってしまった。義隆はこれを嘆いて翌日和歌を送った。
もぬけなりと せめて残ふは 空蝉の 世の習ひ共 思ひなすべし

・陶隆房は武断派の武将として成長し、文化振興にばかりにうつつを抜かす義隆に謀反を起こし、自害に追い込む(大寧寺の変)。
・義隆は他にも、小早川隆景や毛利隆元との男色エピソードがある。
・中世武士にとって男色は嗜み。武士にとって上司にかわいがられることが出世の道。足利義満の世阿弥、織田信長の前田利家、徳川家康の井伊直政など。
ただし成人男性のほうが立場が上、幼いほうが下で、入れ替わらない→ホモとゲイの違い?


ホモとゲイの定義(匠雅音『ゲイの誕生』より) 
ホモ…年齢、身分に差があり、上下関係が存在する男色関係において、立場が上の者。対象に対して恋愛感情がなくてもよい。=戦国大名の男色
ゲイ…対等な立場から男性に恋愛感情を抱く人のこと。

近世編
⑦歌舞伎
一般的に語られる歌舞伎の変遷

1603年 出雲阿国の歌舞伎踊り…遊女歌舞伎に発展
→1629年 風紀を乱すとして女の歌舞伎の禁止→幼い少年たちによる若衆歌舞伎が中心に
→1652年 若衆歌舞伎も禁止、野郎歌舞伎に

・これは、女色→男色→性的嗜好の排除、という「男から見た歌舞伎の変遷」でしかない。
・『歌舞伎図屏風』などでは、女性の観客も多数存在
・女性から見た場合、男装の女性を見る目と女装の男性を見る目は同じ? ex)宝塚女優・歌舞伎の女形
→「双性的存在」として、男装・女装は等価。歌舞伎は、双性的存在を愛する日本人の嗜好から生まれた芸能といえる。

Q.なぜ日本人は双性的なものが好き?
A.神や仏に男女の別のイメージが弱い ex)観音は男でも女でもない(ある) 
→異性装がスピリチュアルなものとして浸透しやすかった、宗教的抑圧がなかった。

⑧陰間と陰間茶屋
陰間…陰間茶屋などの座敷で、客の酒の相手をし、芸能を披露し、身体を提供する存在(ニューハーフ)
・陰間は、舞台に立てない歌舞伎役者の仕事および「女」を磨く修行の場
・当時の春画には、遊女と陰間を両方描いたものも存在→女色と男色は対立していない
→ex)井原西鶴『好色一代男』
「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」

陰間茶屋は元禄(1688年~1704年)頃から増加→松平定信の寛政の改革(1787年~)で規制→水野忠邦の天保の改革(1830年~)で禁止

近現代
⑨「変態」の誕生
1873年発布太政官布告「各地方違式詿違(いしきかいい)条例」

男ニシテ女粧シ、女ニシテ男粧シ、或ハ奇怪ノ粉飾ヲ為テ醜体ヲ露ス者。但、俳優、歌舞伎等ハ勿論、女ノ着袴スル類、此限ニ非ズ。

各地方違式詿違(いしきかいい)条例…馬車の往来など文明開化に伴う新風俗への対処を定めると同時に、欧米人に対して恥ずかしくない形に民衆の風俗を矯正しようという意図。異性装は、男女混浴、立ち小便、裸体歩行、刺青などと同様外国人の目に触れさせたくない風習。違反者は罰金(10銭)。

明治末~大正期には、同性愛をタブーとする西洋文化に基づいた西洋医学が流入
→男色文化は「変態性欲」と位置づけられ精神病患者扱いに、1913年に『変態性欲心理』という本が出版され、「変態」が概念化。

現代
「ゲイバー」における女装有無による分離
女装する…ショー・ビジネスとして女性化、男→「女」になった存在。歌舞伎町などが本拠地。
    美しさと踊りなどのパフォーマンス力の高さが求められる。女性客歓迎。
男性のまま…男が男のまま男を愛する。新宿二丁目が本拠地。女性お断りの店も多い。

トランスジェンダーと職能
①宗教的職能。神事や祭礼において、女装・男装の巫女の存在
②芸能的職能。歌舞伎など、双性的な美しさが求められる芸能
③飲食接待的職能。特に日本において発達した職能。ニューハーフパブやクラブ、ホストとして日本のトランスジェンダーの主要な生業
④性的サービス的職能。陰間から性的部分が独立。昭和戦前期に女装男娼が存在
⑤男女の仲介者的職能。男性女性両方を理解し、どちらにも話しにくいことを話せる存在。双性的存在に対するジェンダーの緩衝装置的役割の需要。派生して、ファッションアドバイザーやカウンセラー等

まとめ
西洋では忌避された同性愛や女装であるが、 日本には古来よりトランスジェンダーが存在した。日本では双性的な魅力を備えた人々の人気は高く、男色と女色は対立しないという傾向もあったが、それは日本の宗教に対する性別意識の低さも関係すると考えられる。近代の西洋化に伴って忌避される文化も受容したが、現在でも日本はトランスジェンダーに対して抵抗がないことが多い。


おわりに
 日本の歴史上に存在したトランスジェンダーについて紹介した。
 トランスジェンダーについて紹介しながら「レズ」について十分な考察できていないことが反省点である。また、「ホモ」「ゲイ」「ニューハーフ」「オカマ」「オネエ」「性同一性障害」といった言葉は混同して使われてしまっており、定義付けるのが困難な部分もあったため、深く考察できなかった。
昨今の芸能界において、はるな愛の登場によりニューハーフの存在が広く知られるようになったし、マツコ・デラックスやクリス松村といったおネエタレントは、トーク番組やファッション番組において重要なポジションを占めている。日本において「彼女」たちはいまや人気者であり、それは歴史的に見ても日本人にトランスジェンダーを受け入れる土壌があってのことであると考えられよう。日本人はおネエが好きなのである。


参考文献
吉川弘文館『国史大辞典』
桑原博史『とりかへばや物語(一)』 講談社 1978年
角川書店発行『日本絵巻物全集 28巻』 1979年
小松茂美編『春日権現験記絵 上』 中央公論社 1991年
三橋順子『女装と日本人』 講談社 2008年
服部幸雄『絵で読む歌舞伎の歴史』平凡社 2008年
佐伯順子『女装と男装の文化史』 講談社 2009年
『山口県史 通史編 中世』 2012年
川崎桃太『続・フロイスの見た戦国日本』 中央公論社 2012年
匠雅音『ゲイの誕生』 彩流社 2013年
米原正義『大内義隆―名将が花開かせた山口文化』 戎光祥出版 2014年

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