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2015/12/12

木曜3限概論発表 

一回生の太郎です。今回は「16世紀から19世紀にかけてのイギリス料理」で発表しました。

・はじめに
 「イギリス料理はおいしくない」というイメージを多くの人が抱いていると思う。果たしてそれは本当なのか。本当にまずいとしても、そのようなイメージが定着したのはいつごろなのか。今回は現在のイギリス料理のベースとなった16世紀から19世紀の食事に焦点を当てて調べてみた。

・特徴
イギリス料理には基本的主菜と副菜の区別がはっきりしていない。パンやジャガイモが主菜と考えられることをあるが毎回それらがでるわけではないので、厳密には主菜ではない。料理法についてはローストビーフやシチューをはじめとして肉を丸焼きにしたり、なべで食材を煮込んだりといった簡単な調理工程を持つものが多い。
・18世紀以前のイギリス料理
16世紀はイギリス宗教改革により断食が強制されなくなった。人々は肉を食べる機会が増え、ローストビーフ、プディングなどの今のイギリス料理を代表する料理がいくつか生まれた。しかし庶民にとってはまだ牛肉は手の届きにくいものであったため食べる機会はほとんどなかった。16世紀後半にはすでにイギリスはステーキとローストビーフの国として広くて知られていた。野菜に関しては小麦、大麦、ライ麦、オート麦に加ええんどう豆、レンズ豆などの豆類の時代であった。トマトやじゃがいもなどがアメリカから持ち込まれたが、毒があると見られてなかなか普及しなかった。これらが普及するのは普及するのは18世紀後半になってからである。16世紀イギリス料理のもう一つの特徴は航海食に由来するものがあるということである。壊血病対策と長期保存のためクランベリー、オレンジ、レモンなどのほか、塩漬け肉、魚の干物、乾燥野菜などの普及がそうである。こうした船員食は、やがて庶民の食生活の定番となっていく。
 16世紀から17世紀前半までの食生活で、ステータス・シンボルとして重要な役割を果たしたのがナイフとフォークである。イタリアですでに使われていたフォークとナイフを最初に見たのはトマス・コーリャットという旅行家であり、彼の旅行記にはイタリア人がナイフとフォークを使う様子が記録されている。当時のイギリスではフォークを持ち帰ったコーリャットは笑いものになったとされているが半世紀もたたないうちに上流階級の人々のステータスとして食卓に不可欠なものとなった。
 17世紀後半イギリスの貿易が拡大し茶や綿織物などのアジア物産の輸入と植民地から輸入されたタバコ、砂糖などが国内で広まった。このころから紅茶に砂糖の入れる文化が定着した。またイギリスは砂糖の大量消費国であり、当時のイギリス人は紅茶にコップのそこに残るくらい砂糖を入れたようである。また17世紀後半にはイギリスで農業革命(肥料や道具、交通の発達)が起こり穀物の生産が大量に増えイギリスは「ヨーロッパの穀倉」と呼ばれるようになった。これにより穀物の価格が安くなり麦を原料とするジンの生産量や、牛肉をはじめとする肉類の生産量も伸びた。そして比較的身分の低い農民でさえも時々白パンや牛肉を口にできるようになった。しかし18世紀にはすでにイギリス料理がまずいという評判がヨーロッパ人の中で定着していた。この時代のフランス人旅行者の記録によると「イギリス人は肉ばかり食べている。彼らはパンをほとんど食わないで自ら倹約家を演じている。スープも、デザートもないのでイギリスの料理ははじめもなければ終わりもない。」と批判している。上・中流階級のイギリス人がやたら肉を食するという評判はヨーロッパでは一般的なものであった。一方スウェーデンの旅行者カルムのようにイギリスの肉料理に感激する人もいた。ヨーロッパ人の多くもイギリス料理のまずさを嘆きつつ「ステーキとパンだけはゆるせる」という感想を残していたようだ。

・フランスの影響と産業革命
18世紀初頭はイギリスの上流階級がフランスやイタリア風のマナーに憧れそのマネをしていた時代である。イギリスの人々はそれらの国の作法書を翻訳し、実際にフランスやイタリアに数年間の留学を体験し大陸マナーを習得しようとした。しかし、18世紀は同時に対フランス戦争が断続的に戦われた第二次英仏戦争の世紀でもあった。こうなるとマナーについてもフランス風のものは意図的に避けられ、イギリス風のマナーが次第に確立されていく。食事の作法についても、陽気なイタリアやフランスのマナーとはまったく違って、イギリスでは口数が少ないことがよいとされるようになった。フランスのマナーは女性的過ぎるという批判が強まっていくのである。
18世紀のイギリス料理のバリエーションの少なさの原因のひとつに野菜の不足があげられる。大都市のロンドンでさえ、ポピュラーな野菜はグリーンピースなどの豆類、数種類のキャベツ、たまねぎ、ネギ、二十日大根、レタス、アスパラガス、ホンレン草程度であったレシピも煮たり軽く焼いたり、ソースにすることがほとんどであった。都心部のロンドンでさえこのようであったから交通の不便な地方で野菜の種類は大変少なかった。庶民の食卓に新鮮な野菜が上ることはまずなかった。
 産業革命は一部に豊かな中流階級を生み出した一方、農村人口が都市に流れ込みイギリスの人口の4分の3が都市に住むようになった。各家庭は野菜や乳製品を自給できなくなり購入する必要が出てきた。しかし移ってきた労働者の多くは収入が少なく産業革命以前よりも苦しい生活を強いられた人々も少なくなかった。実際に食べられていた食事をみてみるとお茶、じゃがいも、黒パン、よく働く労働者にはそれに加えてベーコンやその他の肉類が食べられていた。庶民の多くが貧しい食事であったためイギリスの食生活のついての悪評が立った。
砂糖入り紅茶ブームにも産業革命は一役買っている。産業革命における都市化と時間給制度がそれである。都市化により庶民の住宅には十分な台所設備がなかったため短時間で十分な昼食が用意できなかった。そして労働者は労働の際厳しい時間規律をかけられたため食事も必然的に手軽で高カロリーなものが好まれた。これらの条件を満たすものが砂糖入りの紅茶であった。紅茶のカフェインと砂糖の即効性のあるカロリーは労働者に最適であった。労働者の休憩に十分な時間がなかったことは、紅茶のソーサー(カップを置く受け皿)からも見てとれる。熱い紅茶を少しでも早く冷ますためにソーサーに紅茶を移して飲んでいたとされる。
19世紀になると主食としてパンに加えじゃがいもを中心として料理が作られるようになる、じゃがいもがイギリスに浸透したことを表すのがフィッシュアンドチップスである。工場労働者のファストフードとして1861年ごろのロンドンでは屋台の数が500軒以上あった。売られているものはサンドイッチ、マフィン、茶などがあったがもっとも多いのがフィッシュアンドチップスであった。揚げたじゃがいもと白身魚が三角の新聞紙に包まれており手軽で満足できるため多くの労働者に好まれたのが繁盛の理由であろう。ただし使われていた魚は魚屋が売り物にしない小魚、くず魚が使われていたことが多いようである。
また19世紀には「サーヴァント」と呼ばれる若者が大量に存在した。サーヴァントとは元の家族を離れ、ほかの家庭に住み込みで一人前の社会人、職業人となる訓練を受ける人のことである。多くの中流家庭がサーヴァントを雇い彼らに家事を任せた。毎日の食事の支度も彼らの仕事であったため、19世紀の上流、中流家庭ではおふくろの味が消滅した。
19世紀後半ごろになると産業革命により裕福になった中・上流階級は食事に関して見栄を張るようになった。雑穀を使った黒パンは好まれず小麦を使った白パンが好まれた。安価で栄養のあるじゃがいもも階級社会の下から上へ広がった歴史があるため身分の低いものの食べ物として、評判が悪かった。パンに関しては黒パンにチョークやじゃがいもの粉を混ぜ黒パンを白くするごまかしが多くみられた。ひどい店になると半分以上が混ぜ物というパンもあった。

・まとめ
イギリス料理がまずいといわれる原因は産業革命、都市化などによって伝統料理が失われただけでなく、中流以上のイギリス人が基本的に料理の味よりも食事する姿をいかに上品に見せることに力を注いだためであると考えられる。また、野菜をはじめとする食料のバリエーションに乏しかったのも原因であろう。日本のように四季や土地柄に応じた食材は少なく、食材の地方的な差異が非常に少ないため調理技術も発展しなかったのであろう。

・終わりに
今回は19世紀までのイギリス料理を取り上げその歴史をまとめたがイギリス料理がおいしいと書かれている文献が少ないのは残念だった。また今回の概論ではイギリス料理に欠かせない紅茶やビールについてあまり触れることができなかった。飲料という観点からイギリスについて学ぶのも新たな発見があるかもしれない。

参考文献
出口保夫『アフタヌーンティの楽しみ』 丸善ライブラリー 2002年
川北稔『イギリス』農村漁村文化協会 2006年
飯田操『パブとビールのイギリス』平凡社 2008年

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