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2015/08/04

金曜5限概論発表

3回生のはやっしーです。今回は大阪の地名の由来について発表しました。

はじめに
私は遠くに出掛けることが趣味で近畿地方はほとんど行った。その都度様々な地名を知ることがある
のだが、同じ地名でも成立した経緯が違う地名が多くある。そんな地名の由来を聞くたびに地元の
人々が守り通そうとしたものがわかると同時に、合併などでその地名が消えることについて強く反対
する気持ちがよくわかった。そこで、今回はそんな地名の由来を自然や伝説、時代区分から考察し
てみたいと思う。

1.自然や地形が由来でつけられた地名
放出(大阪市鶴見区)
中古車センターのCMで同じみな放出は今では最も有名な難読地名であろう。
放出の由来は大まかに2つの説がある。
一つはこの付近は寝屋川と旧大和川に挟まれた低湿地であり、諸河川が流入して沼のようになって
いた。その沼の水の出口が西にあり、そこから旧淀川(現大川)へ流れていった。つまり、その沼から
水を放つ出口であったので「はなで」と呼ばれた説。
もう一つは飛鳥時代に新羅の僧が草薙の剣を盗み出し、新羅に持ち帰ろうとした。しかし、嵐に遭っ
て船が漂流し、神罰を恐れ剣を放り出して逃げて行った。この故事から「はなして」「はなって」と呼ば
れた説がある。

松原(松原市)
大阪府の東部に位置するこの地名が初めて出たのが久安四年(一一四八年)に覚法法親王が松原
の荘園に着いたとある記述が最初である。由来は反正天皇の宮である丹比柴離宮に松が生い茂っ
ていたことから、「松生いし、丹比の松原」と称されたのが由来とされている。

鴫野(大阪市城東区)
このように太古からある自然からとった地名が多く、古代の大阪では湿地帯であったことから、川や
沼からとった地名が多い。また、鴫野のように動物から由来している地名もある。

2.伝説からつけられた地名。
羽曳野(羽曳野市)
応神天皇が埋葬されている古市古墳群を持つ羽曳野市は大阪中央南部にある地名である。
この地名の由来は市の代表駅の古市駅東にある白鳥神社伝説から由来する。
この伝説では大和朝廷全国統一のため遠征をしてした日本武尊が東方から大和に帰る途中に伊勢
亀山(三重県)で命を落とした。その後白鳥に姿を変えた日本武尊は大和へ向かって舞い、現在の
羽曳野に舞い降りた。その後、天に向かって(西とも言われている)羽を曳くかのように飛んで行った
ことから、羽曳野といわれるようになった。

楠葉・樟葉(枚方市)
どちらも読み方は「くずは」といい、場所も一緒である。しかし「樟葉」は現在の樟葉駅前付近の狭い
範囲を表し、「楠葉」は京都府境までの広い範囲を示す。今では大型ショッピングセンターやタワー
マンションが建って華やかではあるが、この地名の由来は決して華やかなものとは言えない。「古事
記」崇神天皇の段で敗戦して逃げ延びていた兵士が、淀川を渡る際に恐怖のあまり屎を褌より落と
したので、そこが「屎褌」と呼ばれそれがなまって「くずは」と呼ばれるようになった。情けない話では
あるが楠葉は京都ー大坂間の中継地であり、東に男山、北を天王山に囲まれている天然の要害で
ある。駅からはかなり北になるが戊辰戦争時に幕府軍が使っていた砲台があり、この地がたびたび
戦渦に巻き込まれていたといえよう。
伝説による地名は「古事記」や「日本書紀」からの出典が多い。しかし、交野市、枚方市の七夕伝説
からつけられた地名(天野ヶ原、星ヶ丘、星田)など土着伝説からも由来していることも忘れてはなら
ない要素であるといえよう。

3.古代にできた制度、文化によってつけられた地名
和泉府中(和泉市)・河内国分(柏原市)
府中町は律令政治下において和泉国の国府がおかれたことにちなむ。和泉という地名はもともとは
「泉」であったが、風土記編纂の際に二字に統一するために「雅字」が付けられた。大津、佐野では
頭に元の泉を付けているのに対し、和泉市は現在もその地名を守っている。
国分町は聖武天皇が下した国分寺建立の詔で国分寺が建立された場所にちなむ。ただし、国分寺
が建てられた場所は河内国と大和国の境目にあり、現在の河内国分駅からは距離がある。
今の河内国分駅前の集落が形成されたのは、江戸時代に大和川を通る奈良ー大坂間の輸送船の
拠点となったことにより繁栄した。

百済(大阪市東住吉区)・加美鞍作(大阪市平野区)
百済はその名の通り、百済からやってきた渡来人が住んでいた地に由来する。東住吉区には百済
公園がある。加美鞍作は昔は上(かみ)と言われていたが、風土記編纂の際に二字に統一され、賀
美(加美)と名付けられた。加美には鞍作鳥仏師の司馬達等が百済から渡来し、加美に住み着くよう
になった。彼は鞍などの馬具を作っていたため、のちに鞍作氏を名乗り、現在の加美鞍作という地
名となった。
古代の地名は律令政治の影響を大きく受け、変化した地名がある。特に風土記編纂のため二字に
統一されたとあるが、これは中国の影響を受けたもので、中国に多い二字地名の真似をしたと思わ
れる。この結果、日本の地名は本来の意味と違い漢字で書かれ、大きく変化を遂げる。
一方で、渡来人や豪族の名前からとった地名が多いのも古代の地名の特徴でもある。

4.中世にできた制度、文化による地名
関目(大阪市城東区)
須佐之男命神社(関目神社)に「関目発祥之地」の碑がある。それによると中世に関の見張り場所が
あったという。そこから関を見ることから関目という地名になった。

立売堀(大阪市西区)
大阪の難読地名で有名な地名でよく取り上げられる。地名の由来は大坂の陣のときに伊達家が掘を
掘り、そのあたりを陣所としたことから「伊達堀」と呼ばれたのが最初である。その後、そのままの読ま
れ方である「伊達掘」と言い方を変え、その後ここで材木の立売が行われたことから、「立売堀」と書
かれるようになった。

天下茶屋(大阪市西成区)
もともとこの地は勝間新家と称したが、芽木光立が武野紹鷗がいた場所に茶店を出した。その後、豊
臣秀吉が住吉大社を参詣の時にそこで休憩したことから、太閤殿下茶屋といい、それが転じて天下
茶屋になった。
中世、近世初期では、関や掘りから命名されるなど、戦が地名を付けたといえよう。特に大阪を本拠
にしていた天下人豊臣秀吉の影響がとても大きく、秀吉の行動に由来している地名が多い。

5.近世の文化に由来している地名
鴻池新田(東大阪市)・新喜多(大阪市城東区)
鴻池の地名は大和川付け替え後に鴻池新田を開発した鴻池家三代目鴻池善右衛門宗利に由来
する。もともと鴻池家は山中姓と名乗っていたが、鴻池屋という屋号は酒造業を始めた摂津国長尾
村鴻池(現兵庫県伊丹市)に因む。ちなみに、学研都市線の鴻池新田駅も鴻池家から一切の費用
が寄付されて開業したものである。同じころ現城東区でも大阪市都島区片町から現東大阪市高井田
までの旧長瀬川河床を新喜多新田と呼ばれるようになった。この地名は開発者の鴻池新十郎、鴻池
喜七、今木屋多兵衛の名前の頭文字からその名がついた。

天神橋(大阪市北区)、淀屋橋(大阪市中央区)、心斎橋(大阪市中央区)など
江戸時代になると「江戸の八百八町」、「京都の八百八寺」と並んで「浪華の八百八橋」と呼ばれたい
た。ただし、実際の橋の数は江戸は350あったのに対して、大坂では250ほどしかなかった。ただ
し、江戸は350本のほとんどが幕府によってかけられたのに対し、大坂では幕府が描けた橋は「天
神橋」、「天満橋」などの12本しかなかった。ほとんどは町人によってかけられた橋であり、「心斎橋」
は伏見町人の岡田心斎が、「淀屋橋」は淀屋が私財を売ってかけた。
近世になると、大坂では商人が活躍するようになり、商人がかかわった地名が多く登場する。
何故、商人が新田や橋を開発するかというと利益の拡大である。淀屋の例で説明すると、淀屋は南
からの客で賑わっていたが、北側には土佐堀川が流れており、北側の客は船で川を渡らなければ
いけなかった。そのため、北側の不便さを解消するために橋を架け利益を拡大させた。
一方、新田開発では橋を架けるよりも巨額の利益が期待できたが、開発の難航によるリスクが高く、
破産した商人もいたほどだった。ただ、この新田開発の乱発大坂にある湿地帯は縮小していくことに
なる。

6.近代・現代の制度や文化に由来する地名
豊中(豊中市)
明治二十二年(一八八九)岡町、桜塚、山ノ上、南轟木、新免の五ヶ村が合併し豊中村が成立し
た。豊中は当地が豊島郡の中央にあることから名づけられている。その後、次々と合併を繰り返し、
北摂では最初の市となった。現在の豊中市は豊島郡の南をほとんど含んでいる。

ダイハツ町(池田市)
企業名によりつけられた地名であり、大阪市にあったダイハツ工業が池田市に広い土地を求めて移
転したのが始まりである。当時の地名は神田町と北今在家町の一部であったが、昭和四十一年(一
九六六)に町名変更があってダイハツ町になった。

テクノステージ(和泉市)
和泉市久井町の丘陵地に関西国際空港の開港をにらんで開発された中小団地が始まりである。昭
和五十五年(一九八〇)以降、大阪府と和泉市が「和泉コスモポリス」事業を推進し、平成九年(一九
九七)に団地愛称が公募され、「テクノステージ和泉」に決定した。二年後にはテクノステージ一丁目
~三丁目までの住居表示も行われるようになった。
明治時代から、市町村の合併が加速し、多くの市が誕生した。しかし、いくつの自治体が合併しても
一つの地名しか選ばれないので、地名選びが難航した。そのため、旧国名や方角+付近の大都市
からとった地名が多く生まれることになった。(例、東大阪市 摂津市)
その後、高度経済成長期によって、会社の力が強くなると会社の名を取った地名が誕生することに
なる。会社からとった地名は上記の地名のほかに三洋町がある。他に新規開発や財政難などが理
由で地名を公募するケースが出てきた。泉佐野市が市の命名権を売りに出していたことは記憶に新
しい。古代に比べると近現代では新しくつけられた地名は少ないが、様々な角度から命名されるの
が近現代の特徴である。

7.大阪の由来
「古事記」によると摂津、河内、和泉はもともと1つであり難波津や武庫津(兵庫県)などの港津がある
ことから「津の国」と言われていた。その後、14世紀に蓮如が石山本願寺を建立した。当時は「小坂」
(をさか)と呼ばれその後「尾坂」、「小坂」(おさか)と呼ばれるようになった。その後、時代が経つにつ
れて大坂と呼ばれるようになった。しかし、江戸時代末期には大坂の坂の字が「土に反る」と読まれ
てしまうことがあり、縁起が悪かったため、一部では大阪の字を使うようになった。明治時代になると、
明治政府の敵であった士族から「士が反する」と読まれ、明治政府が嫌悪したことから、大阪の地名
が一般的となった。

8.まとめ
大阪の地名に限らず、地名は自然、伝説や時代ごとの事情が大きくかかわっている。さらに、もともと
湿地帯だった大阪は水に因んだ地名が多いのが特徴である。伝説や古代からは圧倒的な力を持つ
者が多かったため、同じ人物や同じ神から由来することが多かったが、時代が経つにつれて地名の
由来は多様化していることがわかる。しかし、どの時代でも、当時一番力が強かったものが中心だっ
たのは事実である。

9.おわりに
自分が良く地名の由来が意外なものだったとわかるなど、たくさんの地名の由来が知れて楽しかっ
た。できる限り整理をしたが、乱雑になっているのが反省点である。この発表をするにあたって、様々
なところの写真を持ってきたが全部載せられないこと、またカラーにできないことが残念である。皆さ
んも自身の地元の地名の由来を調べてみると新たな発見があるかもしれないと思う。

10.参考文献
橋下繁造 渡来人の足跡       松籟社 1986年
創元社編集部 大阪難読地名がわかる本 創元堂 2003年
池田末則 大阪地名の謎と由来   プラネットジアーズ 2008年
堀田暁生 大阪地名由来辞典    東京堂出版 2010年
谷川彰英 大阪地理地名地図の謎 実業之日本社 2013年
若一光司 大阪地名の由来を歩く  KKベストセラーズ 2015年

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