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2015/07/31

月曜4限概論発表

1回生のうのこです。
今回は「シナ文明の原型」で発表しました。

はじめに
 
黄河文明
 ・黄河中流の洛陽盆地に都市文明が発生
  ←1、黄河の、源から秦麗山脈に衝突するあたりまでは両岸が断崖絶壁であり、しかも急流だから、渡河に適さず。黄河が洛陽盆地の北を過ぎるころになると、両岸は低くなり渡河に適するようになる。これが開封市の北に達すると大平原に出、流速は急激に落ち、同時に多量の土砂が河底に沈殿し、氾濫を起こしやすくなる。
    洛陽から開封にいたる約二百キロメートルの間だけは、流速は緩く、両岸は低く、水路は安定している。
 
 ←2、洛陽から開封に至る区間の北側には、東北アジア、北アジア、中央アジアからの陸上交通が集中している(絹の道、毛皮の道)。
   南側は東シナ海 、南シナ海、インド洋に通ずる水上交通路が集中している。
   洛陽盆地は、東は日本列島、韓半島、東シベリアに連なり、北はバルト海、黒海に連なり、西は中央アジア、西アジア、地中海に連なり、南はインド洋、アラビア海、ペルシャ湾、紅海に連なる水陸の交通路が一点に集中するところなのである。
  
中華と四夷
  シナの古い文献では、洛陽盆地から見たそれぞれの方角に住む非漢人
を「蛮、夷、戎、狄」の四つに分類している。
  「東夷」は、黄河・淮河の下流域の大デルタ地帯の住人
  「南蛮」は河南省西部、陜西省南部、四川省東部、湖北省西部、西部の山地の焼畑農耕民
  「西戎」は陜西省、甘粛省南部の草原の遊牧民
  「北狄」は山西高原、南モンゴル、大興安嶺の狩猟民を指す。
これら四種の生活形態を持つ種族の生活圏が接触するのが、洛陽盆地である。
 
・夏―「夷」の王朝
  最初の人間界の王朝とされる、伝説上の王朝。この王朝の実在を証明する遺物や遺跡は確定していないが、歴史時代に入っても、この王朝の子孫を名乗る集団や都市国家が実在していたことから、夏朝も実在していたと考えられる。
  
・殷―「狄」の王朝
 建国は前十五~十六世紀ごろ
 東北アジアの森林地帯の狩猟民と共通した形式の始祖神話を持つことから、殷人は「北狄」の出身であることが知られる。

 ・周―「戎」の王朝
   殷に代わった周は、もともと汾河の渓谷にいた種族だったが、「犬戎」という遊牧民に圧迫され西に移り陜西省西部の渭河の上流、岐山の麓に国を建てた。周は武王のとき、河南省に進出して殷を倒し、その子の成王のときに洛陽盆地に都を営んだ。
                                 
 ・楚―「蛮」の王国
   楚は周の初めには丹陽、つまり長江の上流の、四川省の入り口におり、「南蛮」出身であることがわかる。

漢人の誕生
   前221年の秦の始皇帝による統一以前のシナには、「東夷、西戎、南
  蛮、北狄」の諸国、諸王朝が洛陽盆地をめぐって興亡を繰り返した。
  →漢人とは?
   漢人は「四夷」の諸民族が接触、混合して形成した都市の住民のこと
  であり、人種としては「蛮」「夷」「戎」「狄」の子孫である。
   シナの都市の特徴は城壁に囲まれていることである。城郭都市こそが
  都市であり、「国」である。「中国」とは、もともと首都の城壁の内側の
  ことであり、城壁は「中国」を、外の「蛮、夷、戎、狄」の世界から区
  別す境界だった。
   

まとめ   
 ・黄河文明は大平原に栄えたわけではなく、黄河中流域に沿った洛盆
地を中心にした商業網を支配する形で発達した。
 ・漢人という人種はなく、漢人は文化上の観念である。
 
   
おわりに
   今回は、漢語について触れることができなかったので、今後機会が
   あれば発表したい。
    一冊の本に頼りすぎたことや文量のなさ等、反省すべき点が多かった。

参考文献
   ○岡田英弘著『シナ(チャイナ)とは何か』(藤原書店、2014年)

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