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2015/07/29

木曜5限概論発表

3回生のひみこです。
今回は律令キサキ制度について発表しました。

はじめに
 以前後宮職員令に目を通したとき、妃・夫人・嬪条では職務内容等細かな記載がされていないことに気がついた。それからキサキは他にどのような令によって規定されているのかに興味を持ち、今回調べることにした。なお対象は「皇后」ではなく、皇后を補佐する役割を担っていた妃・夫人・嬪とし、時代もキサキ制度に変化が生じ始める光仁天皇以前のキサキについて検討していくこととする。
 
令制キサキとは?
令で規定されているキサキ。皇后・妃・夫人・嬪を指す。

疑問点
①妃・夫人・嬪という序列がいつ設定されたか?
②なぜ序列をつける必要があったか?

キサキの待遇
〈位階について〉
後宮職員令 妃・夫人・嬪条 (史料①)
 妃・夫人・嬪の称号とそれぞれの定員、品階や位階が定められている。妃は「四品以上」とあることから、内親王のみが就くものであることがうかがえる。

〈禄について〉
禄令 嬪以上条 (史料②)
1.嬪以上には品位に応じて封禄(食封と位禄)を与えること
2.春夏・秋冬の二季にそれぞれ号に応じた号禄を与えること (春夏・秋冬に支給されるものなので、季禄の一種と考えられる。)

 封禄については、禄令 食封条(史料③)に一品以下従三位までと太政大臣・左右大臣・大納言の食封、四・五位の位禄が定められている。ただし、これらの封禄は「内親王減半」「女減半」との註があるように通常女性は男性の半分の支給である。しかし本条では「依品位給封禄」とあるように、妃・夫人・嬪は減半することなく男官と同じように支給されていたことがわかる。

 また『延喜式』によると、封禄以外にも品位によって帳内・資人と位田が支給されていた。それぞれ女性は男性の半分、三分の二の支給となっているが、これらも嬪以上は減らされることはなかったとされる。

→以上から妃・夫人・嬪は大臣等の上級男官に匹敵する待遇を受けていた。

キサキ制度の序列設定時期
〈通説〉飛鳥浄御原令で制度化された。(根拠:『続日本紀』文武元年(697)8月癸未条)
    以藤原朝臣宮子娘為夫人、紀朝臣竈門娘、石川朝臣刀子娘為妃
  
  和銅6年(713)11月乙丑条「貶石川・紀二嬪号、不得称嬪」で、文武元年条で「妃」とされた紀竈門と石川刀子が「嬪」とされていることから、この2人は当初から嬪であったと考えられている。つまり「妃」は「嬪」の誤りとしている。       …(ⅰ)

→大宝令施行(701)前の文武元年段階に「夫人」と「嬪」が区別されていることから、その法的根拠として飛鳥浄御原令を想定している。
                 ↓
令制上の妃は内親王にのみ使用される称号にもかかわらず、「妃」と「嬪」を書き間違えるということはありうるのか?

〈遠藤氏の考え〉(p8‐11)
 制度化されたのは飛鳥浄御原令ではなく大宝令である。

(ⅰ)文武元年条ではまだ明確に区別されていなかった。ここでは夫人・嬪の区別がなく、宮子も含めた3人が皇后以外のキサキを指す「妃」とされていた。そして後に宮子のみ「夫人」と直した。
(ⅱ)『日本書紀』の皇妃記載では、妃・夫人・嬪は皇后以外のキサキという同一の概念として使用されている。
・「夫人」もしくは「嬪」が記されている…履中・反正・敏達・用明・舒明・天智・                   天武紀
・「夫人」のみ…反正・敏達・舒明・天武紀
・「嬪」のみ…履中・用明・天智紀
→1つの天皇紀の中で夫人と嬪が一緒に使用されていない。

キサキ制度序列の必要性
〈遠藤氏の考え〉(p12‐13)
 大宝令以前では母がキサキかどうかで皇子女の序列をつけられた。しかし令制下ではキサキの範囲が広がった※ため、キサキの序列が必要となった。

※皇妃記載
【天武紀以前】
・キサキとしての称号が付されていない例(用明・舒明・天武)
・采女(敏達)や宮人(天智)という天皇の身の回りの世話をする身分が記されている例
                  ↓
   後の嬪以上に相当するキサキと、そうでない女性とが厳然と区別されていた

  【大宝令】
・禄令嬪以上条で示されているように、宮人がキサキとなることが想定されていた点
・無位の者が夫人・嬪に就く場合は就任する号に応じた品位を授けると規定している点
                 ↓
 それまではキサキとされていなかった女性を含む形でキサキ制度が改変されている。

◎なぜ改変されたのか
 令制下における皇子女扶養体制が理由の1つとして挙げられる。

‐皇子女扶養体制‐
「令文で規定する親王への国家的給付は乳母・薪を除いて、すべて有品親王に対するもので、無品親王を対象とした給付を令文で規定していない。」(伴瀬,1997,p4)

つまり、それまでのように皇子女の母であってもキサキとはされない女性がいると、無品親王の扶養に支障をきたしてしまう。そのためこのような女性の産んだ皇子女も、国家によって扶養できるようキサキの範囲が広げられたのではないだろうか。

まとめ
 妃・夫人・嬪という序列は大宝令によって規定された。序列が必要となったのは、それ以前ではキサキとされていなかったような女性も対象となり、キサキの範囲が広がったためと考えられる。キサキの範囲が広げられた背景には、令制下における皇子女扶養体制があったと考えられる。無品親王は令において国家的給付が規定されていなかった。そこでその母をキサキとすることにより、男官に匹敵する国家的給付が与えられ、無品親王の扶養を可能にした。

おわりに
 今回はキサキの待遇、キサキ制度の成立時期と序列の必要性について述べた。しかし大宝令以前の皇子女扶養のあり方、妃・夫人・嬪から女御・更衣へと移り変わる背景等解明しなければならない点が多い。今後はこれらを元に古代のキサキ制度を明らかにしていきたいと思う。

参考文献
・遠藤みどり「令制キサキ制度の成立 ‐妃・夫人・嬪の序列をめぐって‐」、日本歴史学会『日本歴史』754(2011年)
・伴瀬明美「八~九世紀における皇子女扶養体制について」、続日本紀研究會『続日本紀研究』306(1997年)
・玉井力「女御・更衣制度の成立」、名古屋大学『名古屋大学文学部研究論集 史学』19(1972年)
・野村忠夫『後宮と女官』(教育社、1978年)
・岸俊男『日本古代政治史研究』(塙書房、1966年)

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