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2015/06/18

水曜4限概論発表

一回生のやまべです。今回の概論で私は「相撲の歴史」というテーマで発表しました。

はじめに

現在、相撲の人気が復活しつつある。相撲女子(スージョ)がテレビで紹介されるほどである。しかし、多くの人は相撲の歴史を知らずに観戦をしていることであろう。相撲の歴史は長く、それを知ることで、相撲観戦の面白さはより増すことと思われる。本概論では、相撲の歴史を古代から現代まで解説する。なお、時代ごとに古代(縄文~平安)、中世(鎌倉~室町)、近代(戦国~江戸)、近世(明治~第二次世界大戦期)、現代(戦後~)と章に分けて発表を行う。


古代日本の相撲

・相撲という言葉
争う、抗うといった意味の「すまふ」に由来。字の通り、当時の相撲は格闘技といった傾向が強く、蹴りや突きといった今では反則とされる技が使われており、土俵も存在しなかった。

・儀礼としての相撲
相撲は農耕儀式や占いと結びつくことで社会の中で存在意義を確立した。特に雨乞いや豊穣祈願の儀式と深い結びつきを持つ。

・神話における相撲
古事記の国譲り神話
天照大御神が建御雷神と天鳥舟神を葦原中国の支配のために派遣。
大国主神の息子の建御名方神と力比べを行い、葦原中国を禅譲させた。

日本書紀の野見宿禰と当麻蹶速の闘い
垂仁天皇の命によって、怪力で知られていた当麻蹶速と野見宿禰が力比べを行い、野見宿禰が当麻蹶速を蹴り殺し、天皇は蹶速の領土を宿禰に与えた。

→これらの神話からは天皇が日本国内の各部族を支配していくというモチーフがうかがえる。ただ、このころの相撲では、今では禁止されている蹴りや突き、殺害まで行われており、現在の相撲とは大きく異なっている。
・各地の出土品
井辺八幡山古墳(和歌山)の男子力士埴輪や関西地方の須恵器


中世日本の相撲

・相撲節と職業としての“相撲人”(国相撲人)
相撲節は、平安時代に宮中行事として行われた。古事記や日本書紀にみられる天皇による支配と、天皇への服属の関係を再確認する目的があった。しかし、鎌倉時代ごろに廃止された。平安時代に相撲を職業として行う相撲人が誕生。相撲人は免田や課役免除、軍事や近衛府番長への任命などの特権が認められた。相撲人は相撲節の廃止後も様々な形で相撲を伝え続ける。

・勧進相撲の発生
寺社の建設、補修を行う為の資金集めとして、各地の寺や神社が相撲を主催。全国への巡業も行われた。鎌倉時代から江戸時代まで続き、江戸でも相撲興行は回向院境内で行われた。
                            
・武士の鍛錬のための相撲「競馬五番・流鏑馬五番・相撲十番」
鎌倉幕府は武士の鍛錬として競馬、流鏑馬、そして相撲を振興した。源頼朝が相撲を見物したとの記載が「吾妻鏡」に存在する。出雲大社の遷宮神事では“競馬五番・流鏑馬五番・相撲十番“
が武士に課された。


近代日本の相撲

・武家に召される力士たち
室町幕府六代将軍足利義教は相撲御覧の名目で、政権の基礎固めのために、大名たちの邸宅を訪ねた。
戦国時代の大名の中にも力士を抱えた者がいる。織田信長が土俵の考案者という説もあり、自らも相撲を取ったと言われている。

・民間の相撲
武家での相撲の流行とは対照的に、中世において辻相撲(庶民が行う飛び入り参加の相撲)は喧嘩の原因となり、社会の秩序を乱すとして禁止されていた。

・相撲の隆盛
江戸幕府第十一代将軍徳川家斉の上覧相撲をきっかけとして、相撲興行が年二回行われるようになり、各藩お抱えの力士が威信をかけて闘った。しかし、プロレスのように善玉と悪玉の位置づけや、相撲にストーリー性があるなど、興行としての側面が強かった。
近世日本の相撲
・相撲排斥
文明開化の中、力士たちは断髪令の適用を免れたが、相撲が旧弊であるとの世論が高まった。
当時の東京相撲会所は力士消防別手組(幕下、三段目によって構成)の結成や、九段招魂社(現、靖国神社)の造営に力士を従事させるなどして、イメージアップに成功した。明治天皇の最初の陸軍観兵式では、幕内上位力士が旗持ちを務めた。

・三都相撲協会の誕生
廃藩置県によって、雇い主を失った力士たちは、東京、大阪、京都にそれぞれ独立した協会を設立。
それぞれに独自の文化を発達させたが、東京と大阪、京都では実力差や資金力に差があり、京都相撲協会は欧州巡業中に解散、大阪相撲協会は1927年に東京相撲協会と合併した。

・戦時の相撲
相撲が国策としてナショナリズムの高揚に利用された。また、戦前の相撲協会には会長、理事は軍人を置く風習が存在した。戦時中には野球が敵性遊戯として弾圧された為、相撲が娯楽の中心になったが、国技館が風船爆弾の製造のために軍に接収された為、後楽園球場で場所が開催された。徴兵されて、戦地へ赴く力士も存在し、戦死した者もいた。GHQは柔道や剣道といった武道を禁止したが、相撲は禁止の対象にならなかった。


現代日本の相撲
・拳銃密輸事件
大鵬、柏戸、北の富士(全員のちに横綱昇進)らが拳銃を密輸し書類送検される不祥事が発生するも、特に処罰はなかった。現在まで続く暴力団と相撲の関係が初めて明らかになったとされる。

・相撲の国際化
高見山(ハワイ出身)が1967年に外国人力士として初めて十両に昇進。ハワイ出身力士が増加したが、現在はモンゴル人力士が圧倒的多数。日本人力士の優勝は2006年の大関栃東以来途絶えている。

追記
相撲から見る日本人のルーツ(北伝説と南伝説)
 
北伝説の相撲から見た根拠
・モンゴル相撲や韓国相撲(シムル)
・敦煌石窟や高句麗の相撲壁画
・中国で“相撲”と書かれた初めての文献「礼記」
・「江表伝」の宮廷相撲の日本書紀との類似性

南伝説の相撲から見た根拠
・ペルシアの叙事詩「シャーナーメ」のロスタムの巻
・古代メソポタミアの相撲図
・ベニハッサン(エジプト)のバケト3世の墓の壁画
・インド相撲クシュティー
・沖縄相撲


まとめ
相撲は長い歴史の中で、神話や国家権力と結びつき、たびたびの変化を遂げながら、洗練されていった。困難に見舞われる時期にも様々な取り組みによって相撲は維持され、後世に伝えられた。


おわりに
相撲の歴史はあまりに長く、広大であり、幅広い文化に関係するため、うまくまとめられず、ただのまとめ学習のような発表となってしまった。今回の発表でも紹介しきれない事柄があるので、興味を持たれた方は、毎年3月の大相撲大阪場所に足を運んでもらいたい。


参考文献
・寒川恒夫『相撲の人類学』1995年 大修館書店
・長谷川明『相撲の誕生』1993年 新潮社
・新田一郎『相撲の歴史』2010年 講談社
・花咲和夫 『大江戸ものしり図鑑』2000年 主婦と生活社

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