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2015/06/12

水曜4限概論発表

三回生のハムラブです。今回の概論発表では古代ローマの皇帝ネロについて調べました。ネロという人物は異常な性癖の持ち主で、キリスト教徒を多数虐殺した人というイメージがありますが、実際の人物像は異なるものであったと考えます。

 ネロは先代皇帝の妹と貴族の間に生まれた子であり、厳密には皇帝後継者とは遠い存在だったのであるが、ネロの母アグッリピナの野心的な性格によって17歳で皇帝に即位した。ネロは54年から親衛隊長ブルスと教育係セネカの助けを借りて親政を開始するが、敵国のパルティアの侵攻を阻止したり不当な重税を廃止したりするなどローマ市民から評価される政治を行った。55年ごろからは母アグリッピナと対立し、59年に母を殺害するも、ネロが求心力を失うことはなかった。
 ネロは詩や演劇が大好きであり、様々な娯楽を市民に提供して彼らを喜ばせた。60年ごろからは彼自身が舞台に立って歌い、市民は物珍しさに皇帝の詩を見ようと殺到した。このようにネロは娯楽に最大の労力をさいたが、反面内政や軍事には消極的であり、これがのちにローマ市民の支持を失うこととなる。
 64年にローマで大火事が起こり多数の死者が出た。ネロは自分の宮殿や庭園を解放するなどしてその対策にあたる。この大火事はキリスト教徒の仕業であるという噂がローマ市民の間に広がったこともあり、ネロはキリスト教徒を捕えて処刑した。
 65年にはネロ暗殺未遂事件がおこり、ここから彼は人間不信に陥り次々と周辺の人物を処刑していく。そうした中で政界にも不安が募り反乱へとつながった。
 68年、ガリア総督ユリウス・ウィンデクスがネロに反旗を翻した。この反乱はすぐに鎮圧されるも続々と貴族がネロに対して反旗を翻し、ついには元老院(議会)によってネロは「国家の敵」のレッテルを張られてしまう。軍事力を失ったネロはもはやなんの権力も持たず、同年ローマ近郊でネロは自害した。
 ネロは暴君とのイメージがいまだ日本では根強いが、これはキリスト教的価値観によるものである。特に彼はキリスト教徒を多数殺害したため、暴君という印象付けが強いのかもしれない。
反省点…この人物を調べるにあたり信ぴょう性の高い資料が少なく、やや小説的な文献に頼らざるを得なかったのが今回の反省点である。

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