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2014/12/07

木曜2限概論発表

1回生のフリスビーです。今回は奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ予定で建設された「五新鉄道」について発表しました。

1. はじめに

 五新鉄道とは、明治に現在の奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ鉄道路線として計画され着工されたものの、建設途中で凍結されてしまったいわゆる未成線である。鉄道建設から凍結に至った経緯と原因を見ていこうと思う。

2. 建設の目的

・戦前から、吉野川(紀ノ川)、熊野川流域は木材の産出地として栄えてきた。
・伐採した木材の輸送は人力に頼っており、安定した輸送力を確保するために鉄道建設が求められていた。
・鉄道建設の計画自体は明治末頃からあったが、大正に入ってから本格的になった。

3. 計画と建設の推移
3-1. 戦前~戦中にかけて

・1920年(大正9年)、奈良、和歌山、三重県の関連自治体の首長によって、「五新鉄道期成同盟会」が結成される。

・計画の中では、林産物の輸送に主眼を置きつつ、農産、鉱山、水力発電開発に期待を寄せていた。また賀名生 、熊野三山など皇室との繋がりも強調していた。

・同年9月、早速政府から測量班が派遣され、測量の結果、総延長106.3km、建設費2250万円と試算され、2年後の22年に「奈良県五条ヨリ和歌山県新宮ニ至ル鉄道」が予定線として改正鉄道敷設法別表に組み入れられた。

・23年には、全国89路線に及ぶ新線建設11年計画が策定され、この中で五条~阪本(現五條市大塔町)の工費が計上された。

・ところが、同年に関東大震災が起こり、翌24年に財政緊縮派の憲政会(後の民政党)が政権についたことで、一旦建設が棚明けされてしまう。

・その後も民政党、政友会と政権が変わるたびに方針が二転三転し、鉄道省も別ルート を模索し始めるなど混乱するが、36年にようやく建設が本決まりになった。

・そして39年1月、五条~賀名生村(当時)生子が着工される。既に戦時下であったため、資材を極力節約しながら工事が進められた。

・しかし大陸戦線が拡大していくにつれ工費が削減され、44年にはとうとう建設が中断されてしまった。

3-2. バス転換案と私鉄の介入
・終戦直後の1946年(昭和21年)、阪本線(五新鉄道の五条~阪本間)期成同盟会が再結成され、関係機関に建設再開を働きかけた。

・52年4月に着工が決定し、54年1月に起工式が行われた。

・59年11月までに五条~城戸が竣工し、残りは城戸~阪本のみとなったが、この区間には峻険な天辻峠が跨っていた

・更に、この頃になると隣接する国道168号線の改良も進み、木材輸送もトラックが主流になりつつあり、阪本線建設の意義が揺らいできていた。

・そこで国鉄は59年11月、五条~城戸間で国鉄バスを運行するプランを地元に提示した。

・各自治体の大勢は反対したものの、西吉野村だけはバス転換案を支持した。これは、鉄道案では村内に駅が2つしかできず列車運転本数も少ないが、バスならば停留所が増え便数も増えるという算段であった。

・西吉野村と他自治体の対立は深刻化し、60年2月、とうとう西吉野村は五新鉄道期成同盟から脱退してしまった。そのため阪本線の工事は一旦凍結された。

・更に60年4月には近畿日本鉄道が阪本線建設、乗り入れ案を発表し、5月には南海電鉄が乗り入れ案を発表するなど事態は混乱の一途を辿った。(近鉄、南海は本気で鉄道建設をする気はなく、五条~新宮間のバス免許取得を有利に進めるためであったのではないかという説もある)

・事態は暫く膠着したが、結局62年9月に、
1. 年度内に城戸~阪本間の着工
2. 完成までの間、五条~城戸間で国鉄バスを運行
3. 阪本まで完成したら鉄道に転換
4. 阪本~新宮間の調査線への昇格
などの両者を立てた玉虫色の合意事項が各関係者間で交わされ、3年にわたった阪本線問題はとりあえず終結した。

3-3. 国鉄バス運行と建設再開

・1964年(昭和39年)1月からバス転換工事が、3月からは城戸以南の建設が再開された。

・単線鉄道区画を転用しており途中に退避場所が一部しか設けられないため、国鉄バス専用道として扱われることとなった。また五條市内の吉野川橋梁が未竣工のため、五条~野原間は一般道を経由する。

・同年7月からバスの運行が開始された。(1日15往復)並行する国道168号線経由より3km短く直線区間が多いため、国道経由のバスより所要時間は20分短縮された。

・開業当初は1日の利用者数が2000人前後と盛況で、ラッシュ時はバスが3台続行運転を行った程であった。これを受けてすぐに1日20往復に増便されている。

・城戸~阪本間の建設も着々と進み、71年6月には最大の難所であった西吉野村と大塔村(当時)に跨る天辻トンネル(5040m)も完成した。これを受けて近隣自治体は国鉄バスの営業区間延長を請願したが、トンネル内の排ガス処理の問題があり、実現しなかった。

・中々具体化しなかった阪本~新宮間の建設運動も始まり、73年に同区間の調査線昇格が実現した。

3-4. 建設凍結とその後

・列島改造ブームもあり、1979年(昭和54年)の夏までには城戸~阪本間の殆どが竣工し、残りは立川渡トンネルと阪本駅周辺のみとなっていた。

・しかし、この頃になると林業が衰退し周辺自治体の過疎化が進み、自家用車やトラックが急速に普及していた。並行する国道168号線も徐々に新線に付け替えられ、阪本線建設の意義は薄れていった。

・79年8月、着工率70%まで進んだところで国鉄財政難のため、同年度の予算配分が凍結された。その後も前年度からの繰越金で工事は進められたが、80年12月に国鉄再建法が公布され、同月に建設が完全にストップした。事実上、阪本線建設の夢は絶たれた。

・85年に期成同盟会が各自治体に組織存続の可否を問うたが、存続の意向を示したのは五條市、西吉野村、大塔村、野迫川村のみであった。結局90年2月に同組織は解散した。

・87年の国鉄民営化後に五条~城戸間のバスはJR西日本が引き継いだが、利用者減のため02年に奈良交通に引き継がれた。その後も便数は減り続け、トンネルの老朽化のため14年9月30日をもって同路線は廃止された。

・現在、野原駅予定地は福祉センター、天辻トンネルは大阪大学の研究施設として活用されている。

4. 考察

・建設が凍結された主な原因として、沿線地域の過疎化が挙げられる。
        
・この頃は全国的に人口が増大していたにもかかわらず、沿線予定地であった旧西吉野村、旧大塔村、十津川村の人口は減り続け、また3地区いずれも少子高齢化が著しく、約50年の間に人口が約3分の1になってしまった。(各年度国勢調査、市町村統計)

・過疎化の原因として、1つめにこれらの地域を支えてきた林業の衰退がある。全国で林業に携わる人は、1955年に約44万人いたのが、75年には約17万人、10年には約7万人にまで落ち込んでいる。(総務省「労働力調査」)

・理由の1つとして、昭和30年代から段階的に木材輸入の自由化が始まったことが挙げられる。海外の木材が大量に安く手に入るようになり国産木材の需要が減ったことで、50年に9割以上あった木材自給率も00年には20%を下回った。現在は少し持ち直しているものの、依然として3割を下回っている。

・2つめは、やはり乗用車の普及である。

・世帯普及率は、乗用車の統計がとられ始めた61年でわずか3%ほどだったのが、70年代には2世帯に1台を超え、現在では地方を中心に1世帯に複数の車を所有するのも珍しくなくなった。乗用車が普及することで人々の都市部への進出が容易になり、過疎化が進むと同時に鉄道にこだわる必要がなくなったのである。(内閣府「消費動向調査」)

5. まとめ

・これらのデータをみると建設凍結は仕方なかった、というか当然である。しかし鉄道が通っていれば、ここまで過疎化は進んでいなかったのでは、とも考えられる。50年代に開通していれば、過疎化はここまで進まずなんとか経営できたのではと考えてしまう。実際、国鉄バス開業直後は盛況であった。また、2004年には三重、奈良、和歌山にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。もし十津川周辺まで開通していれば、観光需要も見込めたのではないか。政争に阻まれ着工が遅れてしまったのが本当に悔やまれる。

・地元住民の期待も大きかったようで、68~80年の3期にわたって大塔村村長を務めた岸本重次さんは、
「何十回となく、東京へ陳情に行きました。」
「(天辻トンネル貫通の時は)皆で万歳をしたり、この世に2度とないような、それはそれは大きな歓喜に包まれました。」
「(工事中止が決まった時)莫大な費用をかけていただいたのに、これでやめるというのは、我々にとって絶望的なもので、もっとはやく(建設が)できなかったか。今となっては鉄道に代わるものが欲しい。」(要約)

五條市立大塔中学校デジタル工房部「幻の五新鉄道」(2006)より

・ただ五条~阪本間はともかく、阪本~新宮間は紀伊山地の山々を越えなければならず、建設費用に合った効果が見込めるかは甚だ疑問である。実際十津川、熊野方面へ行くと、周りは断崖絶壁である。ここに鉄道を通すには難工事の連続が予想され、至難の業であろう。

6. おわりに

・もちろん実際に鉄道が通っていたとしても、過疎化は進んでいただろうと考えるのももっともである。しかし、私をはじめとして鉄道さえあれば…という地元住民の意見も根強い。未だ議論が尽きないところである。

・現在、国道168号線のバイパス「五條新宮道路」の建設が進められており、一部区間で供用が始まっている。国道168号は五條市南部や十津川村、和歌山県田辺市東部の旧本宮町にとっては南北を縦断する唯一の幹線道路であり、輸送力の強化及び地域の活性化、観光、林業の復興支援、緊急時の輸送路の確保を目的としている。ポスト五新鉄道として、一日も早い完成が待たれる。

・この概論が山間部の過疎化問題について考えてもらえるきっかけになれば幸いである。

<参考文献>
五條市「五條市史 新修」1987年
森口誠之「鉄道未成線を歩く(国鉄編)」JTB 2002年
作間芳郎「関西の鉄道史」成山堂書店 2003年
「歴史でめくる鉄道全路線 国鉄,JR (42号)」朝日新聞出版 2010年

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