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2014/11/27

月曜4限概論発表

1回の白水です。今回の概論は「生駒山と生駒谷の七森信仰」について発表しました。

1.はじめに
自分の地元にはどのような歴史があるのか気になり、生駒市民にとって身近であり、切っても切れない繋がりをもつ生駒山を調べてみようと思った。そこで生駒谷には七森信仰という民間宗教があるということを知り、今回は生駒山と七森信仰について調べてみた。

≪生駒≫
 朝鮮語で高原を意味する「コマ」に接頭語の「イ」がついたもの。
文献には、膽駒、胆駒、生馬、伊古麻、伊故麻、伊駒、射駒、往馬、などと記される。
この文献というのは『日本書紀』、『続日本紀』、『日本霊異記』、『万葉集』をさす。
神話や役小角の伝承もある。

≪生駒山≫
 奈良県北西部と大阪府の境にある山地で、主峰である生駒山は標高642.3m。
地質時代の終わり頃、大阪湾に浮かぶ菱形の緑の島であった。大阪湾は近畿地方、現在の京阪神地方全域に広がり、山麓まで水域が深く湾入していた。
島の大きさは南北約27km、東西約12km、南偏りに現在と同じ標高であったと推測されている。
生駒山麓からは主にイヌカラマツの花などの植物や、生駒谷からは淡水産二枚貝などの化石が発見されている。この淡水産二枚貝の化石が現生駒谷あたりで発見されたことから、生駒谷は湖沼であったという推測がされている。

≪生駒谷≫
 生駒市と生駒郡平群町の境界にある峡谷で、生駒山と矢田丘陵に挟まれた土地。両岸から急な崖が迫る渓谷のような地形ではなく、生駒山東面の緩傾斜地と生駒川流域の広々とした平坦地が大部分をしめている。
 現生駒郡の地名には龍神や蛇神を信仰する原始宗教や、稲倉など巨岩が露出する場所も所々あり、自然を崇拝した原始人が生活していたと推測されている。その後、山岳密教と結ばれ修験道者と農民雨乞とが結ばれるところもあった。南都極楽寺の僧によって浄土思想の阿弥陀崇拝も持ちこまれ、地蔵信仰と共に石仏、石像、石碑が様々な場所に建てられ、 主要交通路の暗(くらがり)峠(とうげ)筋には、石像の地蔵が置かれた。それらの地蔵に日常生活の願いを捧げて救いを求めたとも考えられている。地蔵を子安地蔵、歯痛地蔵、足痛地蔵、日限地蔵〈日を限って祈願すると願いが叶えられる〉と崇拝していたようである。
 戦国時代においては郷村の自衛団結は村の領域を意識する事が強くなり、村々の入口近くに森を残して外から災い、不浄の入らないよう祈願をこめたしめ縄を張るなどして、森を大切にした。これらの森に石像を安置して巡拝するようになったのは近世の頃だとする意見もあるが、はっきりとは分かっていない。
 
2.生駒谷十七郷の七森信仰
生駒谷十七郷・・・ 古くからあり、生駒川(竜田川)流域にある村々。南北約7km、東西約4kmの南北に細長い地域。以下の村々。
西畑(にしばた)・藤尾・萩原(はぎわら)・小平尾(こびらお)・乙田・小瀬・壱分・有里・大門(だいもん)・鬼取・小倉寺(おぐらじ)・菜畑・山崎(やまさき)・辻・谷田(たんだ)・俵口・小明(こうみょう) 
 
≪七森信仰≫
七森信仰・・・生駒十七郷全ての村で、1つの村に7つのモリがあり、このモリの木を伐ると激しい祟りを受けると信じられている。小枝一本、枯れ葉一枚持ち帰ってはいけないと、厳しく禁じられていた。禁忌を犯したために、
恐ろしい祟りを受けたという体験談が今も伝えられている。村人たちは、普段はモリに近づかず、モリの傍をと通ることを避けて、わざわざ遠回りをすることもあった。モリの禁忌は親から子へと代々語り伝えられ、長い年月人々の暮らしに強い影響を与え続けた。モリが祟る根拠や理由は語られていない。

モリ・・・生駒谷十七郷のそれぞれの村に固有の七つの森があり、「モリさん」と呼ばれ大切に守り伝えられてきたもの。集落を取り囲むような位置に祀られ、禁忌を犯した者には激しく祟る恐ろしい存在であるとともに、村の暮らしを守る守護神でもあった。現在、宅地開発などで消滅するものが多く、モリの存在を知らない人の方が多い。しかし、現存するモリでは未だに信仰が続いている。

・七森信仰がいつ成立したかは不明だが、江戸時代の『生駒山寶山寺縁起』には七森信仰に近いものがあったと推測できる記述がある。
・各村に七つのモリがまつられているのは全国でもあまり類例を見ない。
生駒市北部の高山や北田原などにもモリは存在しているが一つの村に七つのモリがまつられている例は無い。

≪七森信仰の内容≫
・雨乞い
 雨乞いは村単位ではなく、生駒谷十七郷が一つになって行う共同祈願でもあった。その中で、日照りが続くとモリさんに雨乞いの祈願をする村もあった。雨乞いが行われていたモリはすべて、村の水源と考えられていた高地。水の神である竜王が棲むと信じられていた。この竜王の信仰は平安初期から起こってきたと推測される。
(例)谷田の鎮守の森、山崎の龍王の森、藤尾のジョーサンの森、乙田の天神山の森

・虫送り
 稲を食い荒らす害虫は秋の台風とともに恐れられていた。
昼の間に松明を作っておいて、日暮れとともに火をつけて鉦や太鼓をたたきながら村境まで虫を追った。害虫は松明の火に引き寄せられて集まってくると信じられていた。村の境で虫を振るい落とし、松明を全部燃やして虫を焼き殺した。
どの村でも行われていたが、モリと結び付いていたのは以下の2つ。
(例)谷田の中の森、藤尾のジョーサンの森

・カンジョウ縄掛け
 流行り病や災苦をもたらす邪悪な霊は、村境から村に入ってくると信じられていた。災いをもたらす侵入者を防ぐために、村の入り口にカンジョウ縄をかけて村内の安全や無病息災を祈願した。
(例)大門と小倉寺のカンジョウの森

・神武天皇と神功皇后伝説
 『記紀』神話の物語とモリさんが結び付いた説話。
(例)谷田の鎮守の森、萩原の九万八千(くまんはっせん)の森

・元服祝い
 その年に元服する若者の元服を祝い、萩原ではツカサの森にお参りをした。この日から一人前の大人として認められ、村の共同作業に出ると給金が貰えるようになった。近年ではお寺の本堂や公民館で行われるようになり、モリさんにお参りしなくなった。
(例)萩原のツカサの森

・葬列の通過を忌む
 森の前を葬列が通ることを忌み、この禁忌を犯すと村に恐ろしい祟りがあると信じられていた。生駒市高山町の切りつけ地蔵や島根県西石見の個人が祀っている荒神様も同じ言い伝えがあるといわれている。
(例)藤尾の鎮守の森
 このモリは祟りの激しいモリとして恐れられていたが、具体的な祟りの話はない。

・供物を供える
 生駒谷の多くのモリは、神のやどる聖なる場所として畏れられ、普段は近づくことさえはばかられていた。いくつかの村ではモリに供物を供えていた。
(例)俵口の大山の森、菜畑の山下家の森、一分のゴシャブの森、大門のカンジョウの森

・金毘羅さんを祀る
 小瀬の金毘羅の森は、文政年間に讃岐の国から勧請されたもの。モリに祀られたのか、祀られた場所がモリになったのかは不明。
(例)小瀬の金毘羅の森

・モリの神はミーサン(白蛇)・長もの
 雨乞いの話と重複するが、蛇は水神として神聖視されてきたので、雨乞いの習俗と結び付いたと推測される。乙田には「モリさんの葉を持って帰って燃やしたら大蛇になった」という話が伝わっている。
(例)藤尾のジョーサンの森、乙田の伊勢講山の森

3.まとめ
現在も昔のままの姿を保ち、信仰のあるモリもあれば、住宅地になったモリや信仰そのものが忘れ去られてしまったモリもある。また、七つの森全てが伝承にはっきりと残っているものも多くはなかった。鬼取では1つのモリしか伝わっていなかった。これからどう残していくか、どう伝えていくかが課題となるだろう。

4.おわりに
 ここで2つほど祟りの言い伝えを紹介する。
「小倉寺のカンジョウの森」
 モリさんの竹が茂りすぎてみっともないと思った人が、刈り取って掃除したところ次の日から足が立たなくなった。母親がお供え(洗い米や塩)をして一心に拝み、2,3日したら歩けるようになった。
「谷田の北原の森」
 お参りに来たおばあさんが、誤って燈明を倒してしまい、モリさんの木に燃え移った。その後すぐ火は消されたが、そのおばあさんは家に帰り着くと目が見えなくなっていた。

5.感想
 今まで自分の住んでいる地域には何も残っていないと勝手に思っていたので、今回自分の住んでいる土地について調べるきっかけがあって良かったと思う。数が多く、全てのモリについて書けず、また他の地域との比較ができず調べが浅いものとなってしまった。
 次は生駒の信仰の特徴を他と比較することや、一つの村を取り上げて調べてみたい。 

5.参考文献
・生駒市誌編纂委員会『生駒市誌 資料編Ⅰ』1989年11月1日
・竹内理三 編『角川日本地名大辞典29奈良県』角川書店1990年
・今木義法 『生駒谷の七森信仰』生駒民俗会 2008年3月31日
・池田末則『地名の考古学――奈良地名伝承論』勉誠出版 2012年

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コメント

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通りすがりの生駒市民です。
気づけば近所はモリさんだらけ…のところに住んでいます。

子供の通った小中学校の校庭の片隅に誰も決して手入れをしない茂りっぱなしの場所がありますが、誰に訊いても「あそこは入ったらダメ」「伸び放題だけど木も切ったらあかん、さわられへんねんて」と言うばかり。
調べるうちにモリさんというものだと分かった次第です。

また今年の春、ぶらぶらと散歩をしていると神社のような石段があったので、何気なく行ってみたら明らかに気配の違う場所に出ました。
いい歳したオトナが怖くなり、後ずさりしてあとは逃げるように帰ってきたのですが、
地元育ちの友人にその場所のことを尋ねても「知らない」というのです。
さんざん調べて、実はモリさんだったとわかりました。

発表にもありましたが、かなり独特の風習のようですね。
地元の子供たちにそういったいわれが伝わっていないのはもったいないし、保全していくうえで問題だと思います。
このままではモリ自体も、それにまつわる言い伝えも消えてしまいます。

先月あたりの生駒市の広報にサラリとふれられた記事がありましたが、市が郷土のこととしてもっと積極的になってくれたらなあと思っています。

※「萩原」は「はぎはら」と読みます。

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