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2014/07/02

木曜2限 概論発表

こんにちは!
2回生のマサシ改めマサちゃんです。

この度は「兵庫県芦屋市の古代史」について調べ、発表しました。

参考◆現在の芦屋市の位置はこちら↓
https://goo.gl/maps/q4PI9

ここでは、芦屋市に関する様々な古代史ネタの中でも、芦屋市民に最も馴染みのある「在原業平伝説」について述べたいと思います。

在原業平(825~880)は平安時代の著名な歌人であり、古今和歌集他に多くの歌を遺しました。
  ちはやぶる 神世もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
この歌は誰しも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

さて、この在原業平が何故芦屋に縁があるのかと言うと、在原業平が主人公だとされる「伊勢物語」87段の記述によります。
  むかし、男、津の国、菟原の郡、蘆屋の里にしるよしして、いきてすみけり。昔の歌に、
   蘆の屋の灘のしほ焼いとまなみつげの小櫛もさヽず来にけり
  とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ蘆屋の灘とはいひける。

この記事によると、「男は摂津国菟原郡芦屋郷に領地を持っていて、その由でこの地に住んでいた」――つまり、伊勢物語の主人公(≒業平)が芦屋に住んでいたとされるのです。
この伝説は昔から信じられてきたようで、芦屋市には「業平町」「業平橋」「業平別荘跡」などの地名や橋名に、業平の名が現存しています。

しかし、在原業平は本当に芦屋に領地を持っていて、芦屋に住んでいたのでしょうか?



疑問その1◆阿保親王塚古墳
阿保親王(792~842)という人物は、平城天皇の第1皇子であり、在原業平のお父さんです。
その阿保親王のものとされる墓が、実は芦屋市翠ヶ丘町に存在しています。現在は宮内庁の管理下です。スゴイ、芦屋は業平のお父さんまで縁がある由緒正しい地なんですね!

…が、この名前。おかしいと思いませんか?

阿保親王は何時代の人物でしょう。在原業平の父親ですから、平安時代ですね。
じゃあ、古墳って何時代でしょう。

…ハイ、古墳時代ですッ!!

(参考程度に→旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉…)

お、おかしい!!業平お父さんタイムスリップしちゃってる!!時をかけちゃってる!!
…という謎現象が発生しちゃうのですが、その真相は、ズバリ、

これ、ただの古墳でした。

――つまり、阿保親王のお墓ではなかった、ということです。
近代の発掘調査で分かったそうです。それ以前に、江戸時代中期に大修築があったのですが、その時に三角縁神獣鏡をはじめ銅鏡が計7面出土したことが記録に残っているんですね。出土当時は分からなかったのでしょうが…どう見ても古墳です。

そもそも、正史に「阿保親王が芦屋で薨去した」という記事は存在しません。
そのような内容を示す文書はいくつか存在はしていますが、いずれも近世の文書になります。


疑問その2◆伊勢物語の信憑性
業平と芦屋の関連を示す古記録は、『伊勢物語』のみです。
しかし、その『伊勢物語』は作者・成立年代ともに不明であり、さらに「歌物語」という、あくまでフィクションの物語作品です。

伊勢物語では「蘆屋の里」は昔男の領有地でしたが、「芦屋が在原氏の領地だった」ことを示す記録は存在しません。
法隆寺が菟原郡に墾田を持っていたことは史料に残っていますが、その墾田が葦屋郷にあったのかは不明です。
また、8世紀頃の芦屋周辺地には寺社領が多かったことから、芦屋も同じく寺社領だった可能性が高いと考えられます。

また、伊勢物語にあった「蘆の屋の灘のしほ焼いとまなみつげの小櫛もさヽず来にけり」の歌は、伊勢物語では「昔の歌」とありますが、新古今和歌集では「在原業平作」とされています。さらに、万葉集にはこれと類似した歌が収められています。
  志賀の海人は 海布刈り塩焼き 暇なみ くしげの小櫛 取りも見なくに(巻3-278 石川少郎)
どちらも、「塩焼きで暇がなくって、貴方と会うのにおしゃれもできない」と嘆く海女を詠んだ歌。ちなみに、萬葉集の方が成立が先だと考えられます。
結局誰の歌なんだこれ…。


◆考察とまとめ
以上のの2点から、在原業平を芦屋と関連付けることは困難であることがお分かりかと思います。
「芦屋=業平ゆかりの地」の認識が定着した原因として考えられるのは、伊勢物語の記事が時が経つにつれ伝説化していき、史実と誤解されてしまったのではないかということです。
・伊勢物語が、江戸時代、教養書として広く普及していたこと
・阿保親王を遠祖として崇敬した毛利氏の存在(江戸時代、例の古墳を阿保親王の墓だとして大修築を行ったのは毛利氏)(武家が一族の遠祖を由緒ある貴族・皇族に求めるのはよくあること)
以上の2点が、この誤解の主な原因になったのではないかと考えられます。

芦屋は私の地元であり、私は幼少期より「芦屋は在原業平ゆかりの地」と印象付けられていました。
しかし、調べてみればみる程、その関係がハッキリさせることができないどころか、最終的にそれを否定する結論に至ってしまったので、複雑な心境です。


最後に。分かりやすく書こうとしたらこんなにこんなにくだけた文章になってしまいました。
怒られるかな?怒られそうだなあ…。怒られたら真面目ver.で書き直します。
拙い文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
そしてアップが遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

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